合縁奇縁

個人的記録。

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生活リズムが狂っている事を正そうと、寝床に入っているなか

書き記しておきたいという思いから

起き上がり、パソコンに向かっています

 

考えていることは、言わずもがな。

今回の離別を考察していて思うことが幾つもある

もっと客観的に、もっとフラットに見えている視点も綴っておきたく

今画面と向き合っている次第。

 

数年前の自分であれば、きっと怒りを覚え

相手にぶつけていたかもしれない。

『なんで?』そんな怒りをぶつけていたかもしれない。

裏切られた、嘘だった、あれだけ云ってくれていたのに。

きっとその負の感情を相手に、ぶつけていたかもしれない。

 

しかし、今回は一度もそう思わなかった。

故に、相手を責めるということもなかった。

ただただ、悲しかったという感情。

決してこれは、想いの度合いの高低を計るものではない。

自分が成長できたんだと、大変実感できた。

 

本当に愛している人に対してなら

怒ることも、憎むことも無い・・許せるのであると。

それが私の思う真理であり、それが今の私の価値観なのです。

 

確かに、彼女は私に云っていてくれた事を翻した。

離れていかれる可能性に対して、彼女も不安を口にしている時もあった。

都度、私は『自分はどこにもいかないし、ずっと味方である』と、伝えた。

彼女も私との未来を望んでいてくれた。

きっとその想い自体に、嘘はないであろう。

私を切り捨てた、あの時までの私に対する彼女の想い、言動には

決して嘘はなかったと今でも・・信じることができる。

 

しかし、結果として彼女は私を切り捨てた。

この事実は変えられない。

きっと白か黒という二者択一の選択を自身で、自身に対し迫ってしまったのであろう。

昔の私も同じように自身を二者択一にて、裁いていた時期があるだけに

彼女の心情はよく理解できている気ではいる。

もっと、違う考え方が、選択がきっと在ったはずではある。

しかし、それは問題ではない。

当時の彼女には、それが出来なかった。

ただ、それだけなのである。

故に、それに対し問いを投げかけること自体、無意味なのである。

彼女はそう考え、そうした。

その事実を、そのまま受け止めるしかないのである。

 

過去の私であれば、きっと怒りを覚えていた。

しかし、それは意味を持たない。

得てして、負の感情に起因する言動には正に作用することは乏しい。

どんなに相手を責めても、仕方ないのである・・

なればこそ、相手の思考や感情を汲み

それを肯定し、認めてあげることこそが

愛情なのである。

 

過去の過ちから、私はそう考えを変化させてきていた。

それを体現できた。

そう思う今回の離別であった。

 

自分の愛している人が思い悩み、出した答えである。

自分にとっては、身を裂かれるような答えであった。

それでも、そこで自分の希望を述べてしまうこと、相手を責めること

これは違うと。

愛している人のことを、尊重すること。

それが、自分にできる愛情であると思い、私は彼女の云うままに受け入れた。

心底、信頼していた。

心を許せる唯一と云ってもいい、そんな人がこれまでを反故にした。

その事実は、辛く悲しい。

それでも私は、愛している人を尊重する。

きっとその背景には、私に対する彼女の愛情が真実であったと

信じられるからこそ、余計にそう思うのだろう。

 

今は執着せず、尊重をし、機を待つ、機を願う。

しがみつくのではなく、ただ流れを受け入れる。

時が経ち、機が巡ってくるとするなれば

いつかお互い、逢寄るだろう。

その根底には、いつかこのご縁は今一度結ばれるという

根拠のない自信が自分には在るから。

それを信じ、今自分にできることを粛々と行うのみ。

どれだけ傷つこうと、悲しもうと、時は進んでいる。

刻々と全ては変化している。

決して後ろ向きに、待つのではない。

前を向く、待つ姿勢なのである。

いつか逢寄るだろう。