合縁奇縁

個人的記録。

『待つ』とは。

こんばんは。

今日は『目から鱗』な“気づき”がありました。

仕事に関してなのですが、大変収穫のある日となり

大変心地よく、能率も良い仕事ができた一日でした。

 

さて、表題にあります『待つ』というスキルですが。

『待つ』ということ、苦手な人は多いですね。

考えてみましょうか、なぜ多くの人は『待つ』ことが苦手なのかを。

そもそも、待つってどういう状況でしょうか。

 

・連絡を待つ

・品物が届くのを待つ

・人と待ち合わせをして待つ

・結果が分かるのを待つ

 

こうして、考えると私たちは『待つ』機会って、とても多いです。

しかしながら、多くの場合これらに対して

待てるかどうかは一定ではありません。

なぜなら、『その時の感情』次第で

『待てる尺度』は変化してしまいがちだからです。

 

自分が他になにか集中していたり

待っている対象が、そこまで重要度の高くない事柄であったり

 

それでは、『待てる』場合と、『待てない』場合では

なにが違うのでしょうか?

一番起因している感情は『期待と不安』ではないかと思います。

多くの人は結果が既に分かっている事に対しては

一定以上、待つことが出来るのです。

 

・連絡が来ることが指定されている

・食事を注文し、それが届くのを待つ

・なにか通販で買い物をして、届くのを待つ

・人との待ち合わせで、事前に約束が交わされている

 

どんな事柄に対しても共通することは

『事前に結果が想定できている・予測できている』

『結果が一定以上、保証されている』

これ等の理由が裏にある事柄に対しては、待てるのです。

 

私たちは、結果が分からないことに対して不安を抱きやすいです。

人により大なり小なりあると云え。

早く結果が知りたいし、早く解決したい、早くそうなって欲しい。

だって、不安ですものね?そんな時間辛い!耐えられない!期待しちゃう!

よーく分かります。

しかし、早計な判断で待つことを破棄し、言動に移した場合

良い結果には結びつかないものです。

だって、いつの間にか目的が変わってますよね?

最初は対象の事柄に対して、それを待つという事が目的であり

自分で選択し、決め、自分で言動したのに

それが、いつの間にか『待つ間の期待・不安』を解消したいが為

早計な言動をしてしまうのですから。

対象の結果を望んでいるのではなくなってしまっています。

だからこそ、視野は狭くなり、判断は鈍り、その結果

本来自分が望んでいた結果を得ることを

自ら遠ざけ、その可能性を下げているのです。

 

結果が分からずとも、待つことが出来る人は

多くを得れていると思っています。

失うモノはありませんよ。

時間ですか?待っているその時間が失っている?

待った結果、自分の望む結果ではなかった・・

だったら、最初から待たなければよかった!

こんな風に思います?

 

いいえ、『待つ』ということをしていたあなたは

心の余裕、寛大さ、視野の広さ、忍耐力

それらを得ているではないですか。

 待っているその時間も、あなたは一回りも二回りも

人として器を大きくできていると思います。

 

逆に待つことが出来ない人は

多くの機会、有益を自ら“ふい”にしてしまっている事が

増えていってしまうのではないでしょうか。

あの時、待つことが出来ていれば・・・そんな風に思うこと

誰でも一つはあるのではないでしょうか。

 

一見すると、待つという事は『無駄・不要・不利益』と見えるかもしれません。

ですが、待てない人は得てして『心に余裕がない場合が多いです』

逆に待てる人は『心に余裕があることが多いです。』

この差は、引き寄せる結果・その先の未来に対し直接的に結びつきます。

始めから結果が分かっている事は、誰でも待てるものです。

 

私も昔は待てない人間でした。

勿論、今でも意識的に『待つ』という事を積み重ねている最中です。

 

それ、待ってみませんか?

 

無駄なことなんて、なにも無いのですから。

肩の力を抜いて、待ちましょうよ。

あぁー、それもありかな!ってくらいに考えて。

 

待つという事は、信じることなのです。

待っている間も、自分は成長しているんですよ。

だから、私は待ちます。その時を。