合縁奇縁

個人的記録。

読まなかった本

おはようございます。

今日も思慮深い朝を迎えました。

新しい縁が巡り、私はそれを考えています。

私は出会いや別れに対し、偶然は無いモノと捉えています。

新しい出会いには【学び】があり

新しい別れにも【学び】がある。

現実を見れば、それは偶然と云う言葉で合致するでしょう。

しかしながら、私個人としての捉え方は異なります。

偶然というモノは存在しない。

常に人間は選択をし、それは表層意識であったり

無意識、無自覚にであり

その結果が【引き寄せる】モノという解釈をしています。

『常に最善のことしか起こらない』

そんな言葉があります。

とても腑に落ちる言葉だと私は思います。

一見すると、最悪最低な事象、事柄だとしても

それはきっと後に振り返れば、最善のタイミングであり

必ずそこには【学び】が在ります。

その学びを得て知るのは、いつかは判りません。

ですが、その『気づき』こそ、人間そのものを磨くことだと思います。

 

現実は自身の投影です。

あなたがネガティブだったら、ネガティブな現実が目に映るでしょう。

あなたがポジティブだったら、ポジティブな現実が目に映るでしょう。

 

とある人が、10円玉を落としてしまい失くしたとします。

『10円失くした・・ツイてないなぁ』と思うのか。

『10円失くした・・100円じゃなくて良かった』と思うのか。

 

同じ10円を失った事実に違いはなけれども

その事柄に対する捉え方次第で、感じる感情は異なります。

 

人間の【想う】エネルギー・感情というのは本当に凄い力があるのです。

 

 

最後に、私の好きなやり取りがあります。

 

『ここに1冊の本があります。』

 

『その本の持ち主は、読もうと思い買いました。』

 

『その本の持ち主は、いつか読もう、いつか読もう、そう思っていました。』

 

『その本は読まれることなく時間だけが過ぎていきました。』

 

『本の持ち主は、本を読む時間が無かったのでしょうか?』

 

『違います。』

 

『読もうとしなかった。』

 

『それだけです。』

 

『その事に気づかない限り、5年経っても10年経っても、その本を読むことはないでしょう。』

 

『いつかやろう・・ではありません。』

 

『明日やろう・・ではありません。』

 

『明日やろうと云う人は、明後日もやらないでしょう。』

 

『だから、やってみましょう。』

 

『明日なんて言ってないで、やれることからでいい。』

 

『やってみましょう。』