合縁奇縁

個人的記録。

No one lives forever

始めに、今日は一睡もしていないので

少々感情の起伏があって、これを記しているかもしれません事

予めご容赦いただき、お読みいただけましたらと思います。

 

皆さんにとって【大切なモノ】とはなんですか。

 

ある人は、家族かもしれませんね。

ある人は、友人かもしれませんね。

ある人は、恋人かもしれませんね。

ある人は、お金かもしれませんね。

ある人は、地位や名誉かもしれませんね。

 

お恥ずかしい事に・・・私には。

大切なモノと問われて、答える言葉が見つかりません。

 

私たち人間は皆、『幸せになる為に生まれてきます』

その幸せの形は、人それぞれ異なります。

それを手に入れる人と、未だ手にしていない人の違いとは

一体なんなのでしょうか。

いえ、永遠に続く終わりない幸せなど存在しません。

一つの回答としては、これで完結してしまうかもしれませんね。

 

『今』幸でも『明日』には不幸かも分かりません。

『今』不幸でも『明日』は幸かもしれません。

 

ならば、どう生きるのがよいのか・・

人間はネガティブな事にフォーカスし易いです。

逆にポジティブな事は見落としがちです。

 

なぜでしょう。

毎日が在ること、健康であること、ご飯が食べれること。

こういった事も、【幸】ではないですか?

決して【当たり前】ではないと私は思います。

もし、その当たり前に対し幸せと思えない人がいるとしたら

だから、見落としがちの気がウェイトを占めてしまうのではないでしょうか。

 

又、私たち人間は漠然と先見を考えたとき

【不安】という感情を生んでしまう事が重々にあります。

保証がないからですね。

 

当事者同士の連絡が良い例です。

普段何気なく、連絡を交わしている間柄であった場合

その連絡が途絶えると多くの人は【不安・不信】などの感情を持ちます。

心のどこかで、連絡を交わすことに対して

【それが普通】というベースが出来上がってしまっているからです。

果たして、これは本当に【それが普通】なのでしょうか?

自分がした連絡に100%で応答がある事が【普通・当たり前】でしょうか?

違いますよね?

そんな事は無いですし、一切の保証もありません。

しかし、いざそうなると自分基準にて色々な詮索という名の

底なし沼に嵌ってしまいます。

そして自分で【負の感情】を創り出してしまいます。

 

私の視点は上記に記したような思考で出来ています。

 

一番始めに書きました【大切なモノ】についてですが

私自身は未だ、それがなんなのか分かりません。

無理に分かる必要はないとは思います。

 

ですが、正直生き辛いです・・・

 

時に、勤め人である自分に疑問を感じ

今のスタンスの仕事を何年も積み上げてきています。

ですが、正直・・

それに対しても疑問を今現在感じています。

自分のやりたい事をやらせて頂いてはいます。

ですが、疑問を感じています。

不変なモノなど無いんだなという、そんな感覚です。

一度、リセットしたい気もしています。

ビジネス的な視点ですが、1年前と1年後では

同じ手法、戦略はハッキリいってまるっきり同じようには通じません。

気づかないレベルであったり、明らかなレベルであったりと。

需要と供給の関係性は、刻々と変化し続けています。

それに対応・順応しきれない商売は必然的に廃れていくものです。

そのサイクルというのは本当に早いですよ。

ですが、実際に自営などをされている方なら

分かる部分ではあると思いますが

今までやってきたスタンスを崩すのって

とても大変なんですよね。

どうしても、そのスタンスに固執してしまいがちというか

単純に新しいことにトライするのは怖いことです。

リスクが当然あり、それなら今までのスタンスで・・それを生かす形で・・

なんて考えがちになる節もあるかと思います。

ですが、それは小手先でしかなく

ジリ貧になっていき、最終的にはどうにもならなくなります。

かと云って、それを打開する良案はそう簡単に見つかるものではありません。

 

仕事についてはこのような考えを近頃持っています。

だから、いっその事・・一度やめてしまおうか。

そんな事も脳裏をよぎります。

 

人間関係に置いては。

人に気を遣うのも嫌だ。

人の顔色伺うのも嫌だ。

打算的な言動も嫌だ。

いつもそうしてきたから。

ずっと、ずっと、そうして良い子で生きてきたんだ。

そりゃぁ、大人という枠になれば

世間的、人として、そんな風に問われるでしょう。

でもね。

疲れたんだよ。もう。

 

なんで、ちゃんとしてなくちゃいけない?

嫌なことは嫌、好きなことは好き。

本来はシンプルなはず。

それを相手のことを思ってだとか、自分のことを守る為だとか。

もう、そういう考えなんて腐るほどしてきた。

別にこれが投げやりとかって訳ではないですよ。

単純にね

小さい子が、受けた事柄をそのまま感情に出してそれを言動にする。

そんな当たり前の事が出来なくなっている自分が嫌なのです。

常識?打算?機嫌取り?先見?想定?

どれもこれも、腐るほど考えて生きてきましたよ。

でも、それを許さない縛りが世の中にはある。

だから、嫌いなんだ。社会。会社。組織。人間。

 

だから、仕事に関してはおれは自分の力のみで稼ぐという選択肢を取ったんだ。

誰にもなにも言わせない。

おれのスタンスに対して【仕事】と認めてくれない友人、恋人がいた。

ハッキリ言わせてもらいますけど。

あなたたちは、どこかに依存しないとお金を得れないんじゃないんですか?

雇われの身である人の僻みにしか、おれには聞こえない。

【お金を稼ぐ=どこかに雇われる】

これしか答えが出せない・これしか見えてないんじゃないんですか?

私は決して、最初から自分で稼ぐ力があった訳じゃない。

勤め人として毎日、毎日、長時間労働、残業をして

それしか稼ぐ手段を知らなかった時だって経験してきてます。

それを経ての【今】なのです。

私は決して、勤め人を比喩している訳でも

否定している訳でもありません。

一生懸命、働くという事に代わりはありません。

私も昔はそうしてきました。

だからこそ、あなたたちにも言われる筋合いはないというだけの事です。

 

仕事、人間関係。

理路整然と考えれる自分がいる。

だけど、そんな自分が邪魔でもある。

だから、見えないんじゃないのか・・

 

もっと、自分を解放してあげれれば

見えなかったモノが見えたりするんじゃないのか。

律儀に生きることなんてない。

今のおれには、良い子の自分が邪魔だ・・

 

一度きりなんだぜ。人生は。

 

途中から支離滅裂な構成になってしまって

どこに向かって書いているのか分からなくなってしまいました・・

でも、こんな自分も在っていいと思います。

なので、そのままUPします。

 

今日は久々に泣いた日でした。

 

2018.01.14.17:00 執筆