合縁奇縁

個人的記録。

感情を一定に保つという達観

感情の起伏が激しい人は苦手です。

俗に言う『気分屋』ですかね。

言動が一貫しておらず、その都度の気持ち次第でコロコロ変わる人。

それでいて、自分の拘りの場面ではそれに固執し続ける執着心の強い人。

 

自分を客観視してみると、私の場合

自分に対して『無価値感』が割と強めの為

“寂しさ、悲しさ、虚しさ”という感情が強くでる傾向にあります。

そういう時は、なにも手につかず、一気に気持ちが溢れてしまう。

それが支障をきたす。

 

去年から『一喜一憂しない』という事をテーマの一つとして

日々を過ごしてきています。

もっと簡単に云うと、喜怒哀楽の上下の幅を小さくすること。

そうすることで、自分自身の『感情の変化』を自分で処理する力がつく。

そう考えて努めています。

常に一定の感情で過ごせるように。

でもね、これを意識し始めてから『冷めている』『無関心』と

人に印象を持たれることも、多少ありました。

仕方ないことかもしれませんね。

私自身は決してそういう気持ちは思っておらず

単に、自分の感情や起こる出来事に振り回されないようにしているだけです。

 

都度、振り回されていると自分の気持ちが擦り減っていきますよ。

疲れちゃいますよ。

周りが見えなくなっちゃいますよ。

 

一見すると、つまらない人間に映るかもしれませんけどね。

自分自身を守るというか、そんな意味で感情のブレ幅を大きくしないよう

意識し続けています。

 

ずっとそう意識していると、たまに思います。

寂しいとき、甘えたいとき、頼りたいとき

それら感情を表に出してはいけない事なのかな・・と。

 

もちろんわかってます、いけない事なんかではない。

寂しいときは、寂しいと誰かに甘えてもいい。

自分でどうしようもできない時、誰かに頼ってもいい。

 

昔からですけど、そういう『他人に甘える・頼る』が出来ない私。

どうしても、相手の負担になるんではないか・・と考えてしまう。

そうして、本当の本心に蓋をしてしまう。

そして自分がしんどくなる。

相手に嫌われたくない、負担になりたくない。

だから、本心を伝えない。伝えられない。

 

どうしたら、他人に甘えられるのか。頼ることに許可を出せるのか。

未だにそれは掴めずにいます。

 

いつか、甘え方、頼り方、見つけたいです。