駒
私は去年から『相手を』『対象を』
理解しようと
受け入れようと
許そうと
常に肝に銘じて、今日まできている。
まずは自分が相手を、対象を理解すること
それが自分にとっては理解し難いとしても
まずは理解しようと思考すること。
そして、受け入れること。
一度でもいい、受け入れてみろよ!と。
そう自分に言い聞かせ
自分の価値観、常識、拘りをぶっ壊す。
どんなに辛い事があろうと
どんなに酷い事があろうと
怒りや憎悪、憎しみ、そんな感情は捨てる事。
そんな負の感情なんて、なんのプラスにもならない。
相手を呪い、憎しむことで、怒ることで…
一体なにがよくなる?
なにも生まれないだろ。
どんな状況、状態だろうと
まずは自分が、歩み寄ることだ。
まずは自分が、相手に誠意を示せ。
それで相手が図に乗るようなら、自ら離れろ。
そうして、歩み寄ることに有り難みを感じない
そんな相手は、相思に値しない。
お互いに価値観も違えば、考え方も違う。
それが当たり前なんだよ。
似通った人は居ても、100%同じ人間なんか存在しない。
それなのに、自分に都合の良いように
自分の色にばかり相手を染めようとする。
その癖、相手の価値観、考え方を理解しようともしない。
そう。去年までのおれだよ、それが。
そんな愚かな自分の身勝手さを変えたくて
あれから4ヶ月、ずっとずっと自分の心を内観してきたんだ。
自分が変わらなくちゃ、これから先も
絶対に同じ過ち、同じ辛さを味わう運命だろう。
おれは自分の価値観や考えより
まずは相手を理解しようと努めてた。
受け入れようと努めてきた。
その有り難みを分からない人なんだと感じた。
それだけ。
人は、都合のいい駒じゃないだよ。
おれはお互いに歩み寄ろう、寄り添おうと
そう相思相愛になれる人が良い。
『楽』も『苦』も分かち合える人
おれが苦しんでいる時、寂しい時、辛い時
なにをしてくれた?
なにもないだろう。
自分のことばかり。
きっと、昔のおれがそれだわ。
そんな自分にいつも原因の一つがあると気づいて
おれは変わろうと意識改革してるんだ。
おれはもう、過去の自分には戻らない。