合縁奇縁

個人的記録。

涅槃

涅槃【ねはん】と詠みます。

 

私はこの3ヶ月

自分の心を一定に保つことに重きを置いてきています。

何事にも動じない、一喜一憂しない。

簡単ではありません。

本当に簡単ではありません。

最近に限って云えば

私がどこか冷めているという印象を抱かせる

その一因となっているかもしれません。

 

私は元々、逆に位置する人間でした。

血の気が多く、感情的になりやすい。

少しの事にも心を揺さぶられ

感情の起伏が激しい。

私はそんな人間でした。

 

昔から、自分の改善したい点であり続け

しかしそれを改善するのは並大抵ではありません。

なぜだか分かりますか?

 

それは問題点が『感情』だからです。

感情というのは、簡単に変われません。

又、感情を感情で変えることも出来ません。

 

唯一変える方法は【智慧】です。

その感情に対し、向き合い、受け入れ

理解してあげること。昇華させてあげること。

決して蓋をするのではありません。

 

見方を、捉え方を、変化させることで

唯一、感情を昇華させてあげられるのです。

 

世の中には、努力など、人知で解決できる事もあります。

反対に、努力などではどうにも成らない事もあるのです。

 

どんなに抗おうと、太陽は必ず東から昇ります。

どんなに抗おうと、雨は天から地に降ります。

 

このように、人知ではどうにも出来ない

事象や事柄が存在します。

 

太陽が東から昇ることに、腹を立て

どうにかしてやる!と、思う人がいますか?

 

雨が降り続けることに、腹を立て

どうにかしてやる!と、思う人がいますか?

 

恐らく、居ないでしょう。

 

なぜですか?

 

そうです、どうしようも出来ないと解っているからです。

しかし、これが人間関係になったらどうでしょう?

 

自分の思いどおりに成らない事に腹を立て

どうにかしてやる!と、思い、それを言動する事が

時にあるのではないですか?

 

なぜですか?

 

思いどおりに【なるかもしれない】という

【エゴ】が在るからに他なりません。

 

私は、過去の自分がまさにそうであったと

気づかされました。

 

相手、物事、対象に対し欲する。

別に決して悪いことではありません。

普通の感情ではあります。

ですが、それで関係性などが

歪むことになるくらいの内容なら

それは完全に己の【エゴ】です。

 

どんな事象や事柄でも、ありのままを認め

受け入れる事こそ

人がひとを思い遣るという本質であり

それがあってこそ平穏、安らぎではないでしょうか?

では、叱咤をすることは思い遣りではないのか?

と言われれば、それも思い遣りだと思います。

 

時に、当人には耳の痛い話でも

必要な言葉というのはあるでしょう。

それを聞き、受け入れることが

言われる側にも必要な気づきです。

 

私は聞かれれば答えるようにしています。

自分から、あぁだこうだとは今は決して云いません。

聞かれなければ自らの気持ちや言動は

もうしないように変えました。

なぜか。

時にそれが行き過ぎた言動になり

押し付けとなってしまいかねないからです。

 

勿論、全てに対してではありません。

自分の気持ちや意志を自ら発信しなくては

成らない時もあるでしょう。

 

全てに置いてではなく、基軸として

お相手や、対象の事柄に対して

『自ら足を踏み入れすぎない』という事です。

 

私は『待つ』という事の大切さを知っています。

随分と前に『待つ』という事ができるようにと

努めた時期がありました。

 

元々、私は待つのが大変苦手でした。

ですが、ある時に待つ事の大切さに気づき

考え方を改めたのです。

 

努力次第で、どうにか成ることもあります。

努力しても、どうにも成らないこともあるのです。

 

努力しても、どうにも成らないことの場合

やれる限りの事を尽くし、後は受け入れるだけ。

そうですね。

 

人事を尽くし天命を待つ

 

と云った境地なのです。

 

どうにかしよう!どうにかしなくては!と、

躍起になるのではなく平穏に過ごし

時の流れのまま、任せる。

手放すのです、その縋った欲目を。

 

成るときは、成るのです。

成らないときは、どうやっても成らないのです。

 

それを悟ると云いますか、理解する。

 

そんな観点を持てるようになれば

執着心が消せるようになるのだと思います。

 

一見したら、つまらない人間かもしれません。

どこか冷めた目で物事を見ている。

そう思う人も当然いるでしょう。

それはそれで、良いのです。

一つの観点でもあります。

 

多くの人は【苦】を嫌います。

しかし、その苦しみの多くは自らの【エゴ】により

生み出される【苦】である事だと

気づく人は少ないでしょう。

 

全てに対し、善い意味で手放す。

それが出来るようになってくると、荷が軽くなる。

見方一つで、気の持ちよう一つで

どうにでも成るのです。成ってしまうのです。

 

この3ヶ月で、どんな酷い事象だろうと

温かい眼差しで観れるようにと云うか

そういった価値観が私に加わりました。

 

自ら追いかけること

手放す事への恐怖

失うことへの恐れ

 

一つずつだけど。

これらを受け入れられるように

変わってこれたのです。

 

やれる事を尽くし、後は待つ。

在るがままを認め、許せる、それができる人間に

私も、もっと近づきたい。

 

なんか携帯から書いていたら

最後なんか、着地点が分からなくなっちゃった!

ごめんね(´・ω・`)

そんな時もあるさね!笑