移りゆく時
近頃、秋を感じさせるような陽気の日もあり
時の流れを肌で感じられます。
先日、父の49日法要も滞りなく終えることができ
一区切りと云ったところです。
7月3日から今日までを考えると
『気づいたら、今日だった。』
そんな時の流れだったと回想します。
仕事面では明らかな優劣、明暗が別れている商品もあり
需要と供給の選別がハッキリしてきているタスクもあります。
商売は良いときもあれば、悪いときもある、とはよく云ったものですが
それでも、常に一定以上をキープするのが命題であり
長いこと舵をとっていても、難しさを痛感させられます。
対人関係では、古い友人との距離も今まではとは異なる形にて
近しいものとなり新しい付き合い方が垣間見えます。
そんなここ1ヶ月少し、陰ながら私の精神的支えとなってくれている
そんな人がいます。
歪んでいないであろう心を持つその人と、付き合いを始めてみる。
これもまた、今までと異なる新しい形。
物事は自身が『無い(失い)』と思ってしまえば
『無い(失い)』世界が当然展開していきます。
『有る(在る)』と思えば、必ず『有る(在る)』世界が展開していきます。
不思議なもので、この世と云うのはそう創られていると
わたしは確信しています。
変化を恐れず、どんどん変化を受け入れたらいい。
未知数の不安世界こそが、自身が変化する大いなるトリガーと成りて。
今日も、今日という日を生きる。