合縁奇縁

個人的記録。

見る視点の気づき

人は流されやすい

本来の自分ってモノを知っている人は

多くはないんじゃないかな?

自分の陰の部分や、陽の部分の本質って意味です。

 

例えば私で云うなら

私は『人が嫌いです、大嫌いですね』

これが、表層の私。

 

本当は『嫌いではない』

これが、奥ふかくに在る下層の私。

 

どちらも自分では在ります。

 

表層の、人を嫌う私というのは

『過去の経験』から成っています。

これまで関わってきた体験や経験から

『人』というモノに対する価値観が

〔創〕られている。

〔造〕られていると、表現しても良いでしょう。

 

だから、嫌いなんです。

人は浅ましく愚かで自己愛が歪み

時に平然と裏切り、自分の利を一番にし

平然と嘘を吐き、弄び、嘲笑う。

 

こういう、醜く汚い部分を沢山見てきた。

そんな関わりなら要らない。

 

 

では、奥ふかくに在る下層の私。

『嫌いではない』わたしとは。

 

それは『理想』です。『望み』です。

本当は自分が求めているモノです。

人の汚い部分をどれだけ見ようと

どれだけ裏切られようと

嘘をつかれようと

私は『人を信じたい』のです。

人と関わりたい。輪に入りたい。

 

このように、現実と理想の狭間で

表層の意識と、下層に在る意識とでは違います。

 

下層に在るのが本質です。

普段は自分でも気づきにくく

掴みにくい、見過ごしがち

それが本来の自分です。

 

ですが、これを見つけ気づくには

自分と向き合うという事を避けて通れません。

多くの人は、これをしない。

したがらないですよ。

 

自分と向き合う事は、苦痛ですから。

普段は蓋をしている正直な自分。

云うなれば、理性なんかぶっ飛んだ

感情主体の心の叫びとでも云いましょうか。

 

それが本質です。

それに『気づく』事が無ければ

薄っぺらい上辺部分のところでしか

物事は、事柄は、事象は、理解できませんよ。

 

本質には遠く及ばない。

 

私たちは、好む好まざるに関わらず

『世間』を生きてます。

その影響力とは、想像以上に大きいです。

流されやすい人というのは

自分という存在に自信がなかったり

自分という存在をよく知らないんじゃないでしょうか?

時に、100人中、100人が反対しても揺るがない心。

それは自分勝手と、信念の紙一重ではありますが

間違いなく、大切な部分です。

 

自分という存在が一定以上『確立』されている証です。

決して100人の反対を単に処理するのではない

それら反対の中身を受け止め、理解しようと努め

それでも揺るがない!という過程が在って

初めて信念と云えるかもですね。

単に反対に対し、聞く耳も持たず

右から左へ流しただけでは、自分勝手な結論でしょうね。

 

100人の反対を一度受け入れるという事。

もう一度云います。

 

一度、受け入れる事です。

 

一度、受け入れ噛み砕いてみるんです。

反発とはまるで、事の質が違います。

 

結果、揺るがない結論に至ったとしても

その結論に至るまでの過程次第で

まるで『質』が『価値』が違うのですよ。

 

そうした自分の隠れて見えにくい

『本質』にフォーカスをし『気づく』こと。

その繰り返しで、人は変化し成長するものと

私は思っています。

 

自分の本来の望みを

自分自身が知ってあげてください。