合縁奇縁

個人的記録。

理由を探すから分からなくなる

物事がうまくいかなかった時

人は『なぜ』の答えを探したがります。

時には答えが見つかるでしょう。

しかし、見つかれば良いですが

見つからない場合、余計に『なぜ』を求めます。

だから、尚更苦しくなるのです。

あの時、こうすれば…こんな事には…

そんな思考にハマりだします。

後悔は先に立ちません。

気づいた時には、多くの場合過ぎ去った後なのです。

それに対して振り返る、反省をしてみたり

それは有意義なことだと思います。

ですが、答えを求め過ぎると本質がズレていきます。

もっとシンプルに考えれたら、荷は軽くなるのでしょうが

言うほど、容易じゃないのも確かです。

 

その時はそれで良いと思い、そうした。

又は、無意識にそうしてしまった。

深層にはきっとそういう気持ちがあったのです。

結果、それが現実になった。

そして、後悔や反省へと繋がった。

 

その時の自分には、それしか思考できなかったのです。

だから、そうなった。

それだけの事。

 

別の例えで表現するなら、お腹が空いたから

なにか食べたいと思った。

 

この程度のシンプルさで良い。

 

じゃぁ、なんで食べたい?とか

そこから、いくら掘り下げても

それは自分なりの『理屈』が欲しいだけ。

理屈を付けて、納得したいんですよ。

『なぜ?』という部分に対して明確な答えが欲しい。

だから、理由を一生懸命探すんです。

 

元々はシンプルなのに

それを複雑化させてしまうのは、他でもない

自分自身の思考なのです。

時には『そうなった』という結果の事実に対し

一定以上考えてみて、答えが出せなかったら

考えることを停止すると気持ちが軽くなりますよ。

 

私はそうして、受け入れ難い現実を

受け入れてきています。

 

なんか、ちょっと構成がグダグダな気がしますが…

 

今日は此れにて。