合縁奇縁

個人的記録。

13時32分

記録として、一応記しておこうと思う。

あくまで断っておきますけど、私のブログなんでね。

なにを発信しようと自由です。

後に振り返った時に、記録として学びがあればと思う次第です。

 

先日、7月6日に父が逝去いたしました。

71歳でした。

死因は大動脈瘤乖離との所見。

恐らく、病からして発症時に即時発見しても

助からなかった可能性の方が高い様子です。

発見時は心停止から、少なく見ても3~4時間は経過していたとの事でした。

最期は自宅の自室の布団の上でしたので、よかったのではと思います。

自宅から救急搬送される前に

父がその場にて、蘇生処置を施されているのを私も少しですが見ました。

処置を受ける父の姿は、既に絶えている姿そのものでした。

正直、見ていられませんでしたね。

素人の私が、ひと目みてそう思うくらいです。

恐らく、蘇生処置を一生懸命に施してくださった救急隊員の方々は

当然、ひと目みて、わかっていたと察します。

その後、還ることはなくそのまま永眠となりました。

 

私には兄が一人おります。4人家族です。

発見時から終始、兄と母は動揺しており

そんな二人を見て

『私がしっかりとしなくては・・』

そう咄嗟に思い、終始気丈に振る舞い続けました。

そこから本日に至るまで、大変慌しく

正直、参りました。

ですが、お陰様で滞りなく終えることができました。

 

私が思うこと。

 

人の最期とは儚くあっけない。

父は幸せ者だったであろうという事。

 

死因が死因なだけに、まさに予期はできなかったものでもあります。

亡くなられる数時間前、兄は父と会話をしており

なにも変わった様子がなかったとの事でした。

亡くなる数日前に私も、父と幾らか会話をしています。

今思えば、それが最期の会話となりました。

 

人の命が尽きるとき、それはとても形容しがたい光景です。

職として人命に関わるお仕事をされている方にとりましては

そこまで珍しい光景ではないかもしれません。

素人の私にはとりましては、絶命する姿を見るなんて事

そう何度もあることではありません。

今でも、父の自室での最期の姿が眼に焼きついています・・

 

人は自分の死期が近づくと、不思議な言動をするという事は

昔からよく云われています。

父もそうだった様子でした。

 

私の両親は大変仲が悪く、ここ数年は家庭内別居状態でした。

顔を合わせれば、けんか。

ろくに会話も成らない。父はちちで自分の世話をし。

母も父に関する一切のことを放棄しておりました。

 

亡くなる直前のことだと思います。

父が黙って、母の背後にいつの間にか座っているという事が

幾度とあったみたいです。

なにを云う訳でもなく、そっといつの間にか

母の背後に座っていたり

しきりに、母の後を連いたりしていた様子です。

きっと、寂しかったのかとも思います。

きっと、謝りたかったのかとも思います。

 

そして、亡くなる前の日に父が自分の寝具を綺麗にしたそうです。

そんなこと、今まで一度もしなかったのに。

自分の服なども普段は片付けないような人なのに

衣類もキチッと整理されていたようです。

 

自宅の庭を終始、眺め続けると云った日もあったようです。

 

普段は日を別けて行なっていた庭の手入れも

暑い日にも関わらず、一日で済ませてしまったようです。

一日で済ませてしまうなんて事は

過去一度たりとも無かったようです。

 

1ヶ月前くらいでしょうか。

実家のベランダにカラスが何羽かとまったり

自宅の庭を何度も何度も飛んでいた日がありました。

カラスはとても賢く、死期が近い方がいる家が解るとも云われています。

臭いの関係とも云われています。

 

聞き振り返ってみればどれをとっても

『アレ・・?』と思える、日ごろの言動との

違い、違和感。

 

私はここ1年の間、幾度と母に云ってきました。

『もう、親父は長くないぞ』と。

私には心のどこかで、わかっていた節があります。

わかる人にはわかると思うのですが

『生気がない』『影が薄い』

そう云ったモノをここ一年前から

私に父を見るたびに感じていました。

わかるかなぁ・・

感覚的に感じるというか、人相とか後ろ姿とか

なんていうか、エネルギーが感じられないっていう感じ。

 

そして、父は幸せ者だったという事。

通夜をおこない、荼毘へとふすまで。

多くの方に、ご会葬をいただきました。

私にとっては、最低な父ではありましたが

一つの形として、生前の父の人徳、繋がり、を垣間見たと思います。

そして、多くのお力添えを頂けたからこそ

無事に、こんにちを迎えることができました。

 

『この人は最期のさいごも、困らないよねぇ』

 

父はそんな人生であったと母は云ってました。

本当に、本当に、人様には多大な迷惑を掛け

恥をさらし続けた父でした。

大変な苦労をしてきた母であることも、よく知っています。

 

しかしながら、最期を迎えたとき

そんな母をはじめ、兄、私、親族、その他ご協力いただいた多くの方々に

送り出してもらえたのですから。

当たり前だと思う人もいるでしょうね。

ですが、やりたくても葬儀すらできない方もいるのです。

決して、潤沢なわけではありませんが

憎かろうと、最期のときくらいは・・と母は最期までしっかりと

やってあげたのですよ。

これが『人のこころ』ではないですか。

 

くそ親父が・・感謝して詫びやがれ。

 

最期のさいごまで、頭の一つも下げれなかった意地っ張りが。

 

おまえの為に、多くの人が時間を割いて

多くの人が偲んでくれたんだぞ。

おまえはどれだけ、人様に迷惑を掛けてきた。

今頃、詫びたって遅いんだよ。

それでも、気づいてください。

遅くても、気づいてください。

今からでも、心を入れ換えてください。

今からでも、母を大切にしてください。

 

もっと、素直に生きることができていたら・・

違った人生になっていただろうに。

 

今まで、おつかれさまでした。

 

今まで、ありがとう。

 

ゆっくりと休んでください。

 

ありがとうございました。