合縁奇縁

個人的記録。

15日目

あと30年。

私は現在32歳です。

30年後には62歳か。

62歳って、言い方は悪いですけど

【人生に残された時間は少ない】と思ったのです。

30年って一口に言っても、長いように思えてアッという間な気もしますね。

だって、私は生まれてから30年を既に過ぎているのですから。

勿論いろいろな経験、体験がありましたが

気づけば32歳。そんな感覚ですよね。

 

どのくらい生きていられるかは分かりませんから

一概には言えませんが、あと30年が過ぎた時

身体的にも今とは異なる世界で生きているでしょうし

今あるモノが不変なはずはないですね。

人間、死ぬまで勉強とは云ったものです。

【これでよい】という完全は存在しません。

若い頃の自分への後悔。懺悔。

いくら考えても戻せない、時計の針。

刻々と止まらない時間。

これから先、残された一度きりの人生で私はどう生きたいのだろうか。

そんな事を今日は考えてしまった。

幾多の経験をへて、今の私が存在している。

物事に対する解釈、物事に対する望む姿勢。

そういった事に私はこの年になるまで、深く内観したことがなかった。

いや、なかったというのは正しくないだろうか。

都度、都度でできる限りの事を考え、ベストな選択をしてきたつもりである。

だが、それは今思えば浅はかであったり、場渡り的な言動であった事も多い。

結果、自分の望む未来を描くどころか

自分の望まない未来が日々続いてきてしまって今が在る。

私は理解していなかった。

自分の感情、思考が目の前の【今】を創り出していることに。

自分の知りえる可能性、考えうる想定の範囲内でしか

思考せず、正か誤かを決め付けて生きてきてしまった。

それは今思えば間違いである。

 

人間誰しも、自身の価値観というモノはある。

過去の経験という【思考】から成り立つのが価値観である。

だからこそ、共有できる者を求め、理解を喜ぶ。

しかし、それだけでは視野の狭い生き方ではないだろうか。

自分とは反対的な思考にこそ、自分が成長できるチャンスがあると思う。

それを【私の考えとは違うけど、なるほどそういう考えも・・】

という認める姿勢や、聞く姿勢、見る姿勢、を持てないとどうなるだろう。

自身を肯定する意思がより強固なモノとなり

一層、反対的な意見に対し批判的に捉える価値観が増すであろう。

私はきっと、多くの時間をそうして生きてきたのだと思う。

そしてここ1年の経験などを経て、やっとそこに気づけた。

遅いかもしれません。

失い過ぎたかもしれません。

でもそんな事よりも・・気づけたんですから。

多くの時間、経験が私には必要だったという事だと捉えています。

失敗という過程を沢山繰り返し、今気づけたんです。

もっと早く気づけていれば、、そんな思いを誰でも抱くことでしょう。

でも、いいんですよ。

その過去があって初めて、今のあなたが存在しているのですから。

必要な道だったのです。近道などなかったのですよ。

 

私は必ず、自分の人生を豊かに生きてみせる。

自分の創造したい仕事。日常。結婚。家庭。老後。

必ず全て自分の望む未来を創造する。

自分を信じることが出来れば、限界点など存在しないのですから。

限界を決めているのは、間違いなく自分自身です。

区切るな。可能性を。

根拠なんて必要ない、過去の記憶、経験も全て関係ない。

ただ単純に自分を信じましょう。

今日も多くの存在により、私は前を向いて歩けている。

ありがとう。